ホリプロ創始者で当時代表の堀威夫さんと寺本さんとはその昔“スイング ・ウエスト”というウエスタンバンド(昔のカントリーはウエスタンって呼ばれていた)を一緒にやっていたのだ。第1回日劇ウエスタンカーニバルにもトップバンドとして出演する程の人気バンドだった。その後堀さんはプロダクションを設立。寺本さんはカントリーの道をひたすら突き進んでいた。道は違ってもかつての戦友、年に数回は会うという間柄。その堀さんに寺本さんが「今一緒にやっているベースの片山の息子が高校生でカントリーを歌っているから、面倒見てやってよ」といってくれたのだ。強力なコネクションである。寺本さんは俺に「日本のカントリーの世界で中途半端なライブを重ねるより、堀さんの所のようなしっかりしたところで勉強した方が誠史の為になる」と言ってくれた。
しかし堀さんも友人の一言で「それなら」と簡単に受け入れてはくれない。そうは問屋が卸さないって奴ね。でも俺はかなりの幸運の持ち主。ホリプロには数年前にカントリーの本場でアメリカ音楽産業の中心都市のナッシュビルに音楽著作権管理会社の支社を立ち上げていたのだ。ちょうどその頃それに目をつけたアーティストがいた。『ムッシュ』こと“かまやつひろし”さんだ。かまやつさんもその昔“ワゴンマスターズ”というウエスタンバンドでプロ歌手としての最初の活動をはじめていた。その後スパイダースを結成した時には堀さんの事務所の所属アーティストだった。
そのかまやつさんが90年代に入ってからのアメリカでのカントリーの盛り上がり方をいち早く察知していた。そこにホリプロのアメリカでの展開を聞きつけ、堀さんに「今、カントリーが面白いよね」みたいな話をした。かまやつさんの先見性を高くかっていた堀さんは「何でカントリーなんだ?」と聞いてかまやつさんがいろいろと説明をしたそうだ。その結果「それじゃ日本でカントリーやってみようよ」みたいな話になって行き、そこで立ち上がってきたのが『NEOカントリープロジェクト』なのだ。こうして堀さん、寺本さん、かまやつさんの微妙なトライアングルの中で銀座ナッシュビルにホリプロの人が俺を見に来るということになっていった。
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